本記事では「全世代に感情力を育む会」で行われた、東京大学大学院教育学研究科教授の遠藤利彦先生の講演内容をお届けします。
遠藤先生からは発達心理学・感情心理学の専門家として、社会の変化とともに発達の段階が変わり、人間が一生涯を通じて「いつからでも変われる」という「悩める10代」とその保護者の方々、そして社会全体に向けて、大きなヒントを与えてくれる内容をお話しいただきました。
なくなる青年期と成人期の境目
遠藤先生の講演は、専門領域の一つである発達心理学の内容から始まりました。
人間はいつからでも変われる
遠藤教授私の専門の一つの「発達心理学」は昔は児童心理学と同じだったんです。
だけど今、生涯発達心理学っていうふうに名称が変わってきています。
「生涯発達」という名称の通り、人間は一生変化する、いつからでも変われるっていうことを大前提にした学問領域に変わってきています。
かつて人間の人生は「ゆりかごから墓場まで」というように区切られたステージで考えられていました。
以前は乳児期から老年期という8つのステージで考えられていたのです。
しかし今は、お母さんのお腹の中にいる「胎児期」からスタートと考え、超高齢期まで含めた10のステージで捉えられています。
40代、50代でも思春期はありうる



特に変わってきているのが、青年期と成人期の境目です。
昔、「青年期と成人期」という区分けは当たり前でした。
そして、発達心理学者のエリクソンは青年期を「アイデンティティを確立するための猶予期間(モラトリアム)」と位置付けました。
ところが、現在の基本的な考え方では、この境目がなくなってきるのです…。
社会構造の変化に伴い、世界的にモラトリアム期間が長期化していると言われています。
長期化したモラトリアム期間のことを英語では「“Emerging Adults”(エマージング・アダルト)」と言います。
日本語だと「成人形成期」…成人を形成する、つまり「大人になりきるまでの期間」ということです。
要はモラトリアムである青年期と成人期その境目がすごく曖昧になり、そのあいまいな期間が長期化していっているので、こういう概念が生まれたんですね。
だから40代、50代でも「実は思春期・青年期」の人だ、ということも、あり得るんです。
前提として、人生における「モラトリアム期間」が世界的に長期化しているということ。
これはネガティブな感じも受けますが、言い換えれば人間が「いつからでも変われる」という状況が、徐々に出てきているのです。
日本社会の柔軟性の低さ



世界的にモラトリアム期間が長期化していて、人生をどこからでも変えられる状況になりつつある。
そんな中、逆に日本の社会では人生における「モラトリアム期間」が長期化することへの許容度がすごく低いのです。
規定された形で「いついつまで」と決められていて、なかなかそこから自由になれない。
三木先生の「キャリア教育が早すぎる」という、ご指摘は本当にその通りです。
幸福度が高い社会にはもちろんいろんな原因があると思いますが、一般的に言われているのは、
「いつからでも思えば、何にでもなりうる」という柔軟性が高い社会は幸福度が高いということです。
例えば北欧は、大学への入学のタイミングがまちまちです。
- 高校卒業後すぐに大学に入る人もいる
- 仕事をしっかりしてから大学に入る人もいる
- あるいは「Gap Year」でボランティアなどを経験してから大学に入る人もいる
- 当然、子育てが終わってから大学に入る人もいる
- もっといえば、なんかブラブラしてから30歳ぐらいで入る人もいる
そういったことが例外ではなく当たり前
…という受け止め方をされている社会は、だいたい幸福度が高いと考えています。
しかし、日本ではそうではありません。
「自己決定」できるはずがない時期に、もしくはすることが困難な時期に、それを社会が強く求めてしまっている。
そして若者当人たちも「決めなければならない」と内面化してしまっている。
自己決定が難しい「青年期と成人期の境目」が曖昧で長期化している中で、早期からのキャリア形成が過度に求められる現状は、若者のしんどさに直結しています。
そこの柔軟度・自由度の低さという問題は、個人だけの責任ではなく、社会の問題として考えないといけないと思います。
この「社会の柔軟性の低さ」がもたらすプレッシャーに対し、子どもたちがどう立ち向かえるかについては、この会でも考え続けたいです。
次回の記事では、若者の間で広がる「生きづらさ」や「対人関係への不安」について深掘りしていきます。
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