【中編】理論で人を語るな論に物申す ~Z世代社員の心理構造と対応法をお伝えしているということへのご批判にお答えします~

学習支援塾ビーンズ
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目次

前編のおさらい

こんにちは。「Z世代社員育成の専門家」の長澤です。

長澤啓(Nagasawa kei)

東京大学経済学部卒。1997年生まれ。

大企業・大企業の組合幹部向けの研修(ダイジェスト動画)・コンサルティングで、「Z世代社員の定着と活躍」のコツについてお伝えしている。長澤の取り組みについて詳しくはコチラ

不登校支援専門塾である「学習支援塾ビーンズ」の塾長/副代表も務める。

前編では、

私の発信が一部の上司世代の方にご批判をいただくことがある背景と、
私の議論の土台となっている「客観的な事実」ならびに「5つの推論」についてお話ししました。

中編となる今回は、
その現状認識に基づき……
私のスタンスや、なぜ私がZ世代の心理や環境を「言語化(理論化・メソッド化)」することにこだわるのか、
その理由と覚悟について、詳しくご説明します。

前編後編の2部構成のつもりでしたが、意外と量があったため急遽三部構成にいたしました。

私がやらないこと4つ

私のスタンスをより明確にするために、私が「やらないこと」を4つ、ここでお約束します。

①Z世代を馬鹿にしているように見える表現をつかうこと

私自身もZ世代の一員であり、
Z世代の可能性を心から信じています。

Z世代を一方的に揶揄したり、見下したりするような表現は決して使いません。

もちろん、話を面白おかしく、キャッチーに伝えようとするあまり、意図せず
「Z世代を皮肉っているのでは?」
と見えてしまう表現を使ってしまう可能性はゼロではありません。

その場合は、どうか容赦なくご叱正を賜りたいです。

②自己閉塞に陥っているZ世代のポテンシャルを信じないこと

別の記事👇でも繰り返し述べている通り、自己閉塞に陥っているからこそのポテンシャルがあります。

私は、彼ら彼女らを
「ただの困った、ケアの対象としての存在」
として論じることは決してありません。

③私の考えや私が主張する打ち手が「絶対に正しい」と主張すること

私は、客観的なデータと、何よりZ世代との数千時間に及ぶ膨大な対話経験(そのほぼすべてがサシの対話)をもとに、自身の主張を組み立てています。

その主張には自信を持っています。しかし、だからといって、自分の主張が唯一絶対の正解だと強弁するつもりは一切ありません。

④Z世代・上司世代のどちらかに媚びること

以前の記事(👇)で説明したように、

自己閉塞の問題は、
本人と周囲の「共犯関係」によって生まれていると考えています。

(自己閉塞については👇)

したがって、Z世代自身にも行動変容を求めていきますし、
すぐに行動変容できないZ世代には、
それができる状態を目指して粘り強く関わっていきます。

同様に、上司世代の皆様にも、関わり方のアップデートをお願いしていきます。
どちらか一方にだけ責任を押し付けたり、
耳障りの良いことだけを言ったりすることはありません。

私のスタンス ~「中庸」を大事にする~

私が最も大事にしているスタンスは「中庸」です。

人と人との関わりに、
絶対的な「正解」など存在しません。

あるとしたら、「常に形を変え続ける“正解に近い何か”だけだと考えています。

そして、その「常に形を変え続ける“正解に近い何か”」は、
「理論」「真心」「日々の実践」
という3つの要素の、
「真ん中らへん」
に存在すると信じています。

理論に偏りすぎて頭でっかちになってもいけない。
一方で、真心と実践だけで相手と関わることもリスクです。

学習支援塾ビーンズ

賛否があっても私が徹底してやること

賛否両論があることを覚悟のうえで、
私が徹底してやり続けることがあります。

それは、

Z世代の心理構造や、彼ら彼女らを取り巻く環境について、徹底的に理論化・メソッド化(広い意味での「言語化」)していくこと

です。

「言語化」にはリスクが伴うことは理解しています。

物事を言語化し、定義した瞬間に、こぼれ落ちてしまう
「言葉では表現できない大切な何か」
があります。

また、言語的に定義されることによって、
新たな「偏見」が生まれるリスクもあります。

Z世代に関する理論やメソッドをお話しした瞬間に、
「それは偏見だ!」
と強い違和感を覚える方がいらっしゃるのも、無理からぬことだと思います。

ただ、そんな方にこそお伝えしたいのです。

「理論やメソッドに対する拒否感」こそが、時として無意識の偏見を生んでしまう可能性がある

ということを。

「メソッド化(or理論化)してはいけない」という主張は、苦しんでいる当事者たちへの偏見を生むリスクがあります。
個人の認識や経験には限りがあるので、それのみを頼りに対応をしてしまうと、どうしてもバイアスが生じる。

メソッドや理論(言葉)も、相手を枠に当てはめて考えてしまうリスクはありますが、
未知の対象に関しては、言葉は個人の経験よりもずっとマシな働きをしてくれる
と私は考えます。

例えば、私は男性で、ストレートで、五体満足です。そんな私が、女性やLGBTQの方々、あるいは身体に障害を持つ方々が抱える固有の苦しみを、
自分の経験だけで理解することは不可能です。

できたとしてもそれは、「理解できた気」にしか過ぎないと思います。
(「言語化されなくても真心さえあれば理解できる!」というのは聞こえはいいですが、私の感覚ではやや傲慢にも思えます。)

彼ら彼女らの苦しみが言語化され、理論として社会に提示されていなければ、
私は、無意識のうちに彼ら彼女らを深く傷つけていたかもしれません。

経験的知識(無意識の常識も含む)が通用しない対象であれば、
自分の経験・印象のみを頼りに対応してはいけない。
つまり、メソッドが必要です。

特に、前編の推論③で述べた通り、
上司世代の皆さんの「常識」は、それがたとえ真心に満ちていたとしても、自己閉塞に陥ったZ世代には通用しない
ケースが増えてきます。

これは、今までの常識的な教師や親の関わり方では不登校の子どもたちの状況が改善せず、
結果として不登校の数が今もずっと増え続けているのと同じ構造です。

おそらく、全く同じような状況が、
企業のZ世代社員育成の現場でも広がっていくでしょう。

なぜなら、10代の問題と20代の問題は、地続きだからです。

さて、話を本筋に戻して……

私が考えるベストな構えは、

「理論・メソッドを内面化しつつも、その理論・メソッドが万能であると信じない」

というものです。

まとめると、以下の3つの姿勢が重要だと考えています。

  1. 自分の経験・能力・印象が通用しない、自分にとって不可知な対象が存在するという謙虚な姿勢
  2. その対象に向き合うために、理論・メソッド(言語)という、自分の常識範囲外の苦しみをある程度まで描写できるツールに頼る姿勢
  3. 理論・メソッド(言語)は万能ではなく、常に現場の実践に照らし合わせてブラッシュアップし続けなければならないという謙虚な姿勢

なお、私が記事や研修でお伝えしているときは、基本的に理論しかテーマにしていません。

ですので、
長澤は人を理論にあてはめて考えることしかしていない!
と思われてしまうこともあるかもしれません。

もちろん、違います。

発信活動は「理論」をお伝えする活動であると割り切っているので、
私の真心・日々の実践が見えづらいだけです。

後でも繰り返すことになりますが、
私は10代・大学生・Z世代社員と何千時間も対話してきました。
毎週徹夜で語ることも珍しくありませんでした。
ここでは書けないような本当にシリアスな対話現場も何度も経験してきました。

手前味噌で恐縮ですが……
真心と日々の実践の量に関してだけは、(色々とポンコツな私ですが、)割とトップクラスではないかと思っています。

なお……

真心と日々の実践をとても重視する方から、
「大事なことはメソッド(型化された方法論)ではなくて、相手を個として尊重し、その場で真摯に対応することだ」
といったご批判を頂戴することがあります。

(私がZ世代たちと後述するような対話を何千時間もやってきたとご存知でない上司世代の方が、「若い長澤に大事なことを教えてあげよう」というスタンスでおっしゃることが多いですね…… )

ご批判の趣旨に一定の理解は示しつつ、違った見方を提示させてください。

まずは不登校対応の現場でよくある具体例を紹介させてください。

不登校ではあるが、ぱっと見は元気そうな高校生女子と話が盛り上がっていた。その時間で女子高校生が今熱中している趣味について語っていたので、「あ、そういえばその趣味、中2の男の子の生徒がやっているって聞いたな」とほんの5秒だけ他の生徒の話に触れた。

↓↓どうなったと思いますか?↓↓

面談後、家に帰った女子高生は大荒れ・大泣き。家にあるものにあたりながら、「面談は私のための時間なのになぜ他の生徒の話をするんだ! 許せない! もう先生と話したくない!」と泣き叫んだ。

ずっと引きこもりだったが、勇気を振り絞って面談に初めてやってきてくれた中学生男子。まずは雑談で信頼関係を築くべきだと考えたので、1時間目いっぱい使って、その生徒が好きなゲームの話で盛り上がった。面談中、その生徒は「自分の話をたくさん聞いてくれる! うれしい! もっとゲームの話をしたい!」といった様子で目を輝かせてくれた。

↓↓↓どうなったと思いますか?↓↓↓

帰宅後しばらくして大泣き。「先生と話すのは楽しいけど、僕がダメな存在だからこそ楽しい時間にしてくれたってことだから、もう面談には行かない!」とのこと。
(ちなみにこの事例でいうと、信頼関係ができるまではあえて「楽しくない堅苦しい時間」を少しだけでもつくっておくのが正解)

さて、上記のような対話現場では、
「相手を個として尊重し、その場で真摯に対応する」
といった手法だけでは通用しません。

子どもたちにとって、

相手が真摯だろうが自分を個として尊重してくれようが、嫌な言葉は嫌なのです。
そして、一回でも嫌な言葉を投げかけられたら、深く傷つき、もう二度と会ってはくれません。
(不登校支援の最後の砦でもある私たちにすら二度と会ってくれないとなると完全な引きこもりor入院まっしぐらということですから、「まあ相性があるからね」という言い訳は許されません)

残念ながら、Z世代社員対応の現場でも同じことがあります。
私含めて上司・先輩が真摯に向き合い、善意100%だからこそ発したちょっとした言葉で深く傷つき、信頼関係が一気に崩れるのです。

改めてになりますが、

「相手を個として尊重し、その場で真摯に対応するのが大事」という精神論も大事なのですが、それだけでは通用しない対話現場もあるということはご理解いただければと思います。

おわりに(次回予告)

次回(後編)は、

個性ある「個」を見るのが大事なんだから、世代でくくって見るのはダメだ!

長澤の発信でZ世代が傷つくのではないか

といったお声に対して個別にお答えしていきます!

短く、サクッと読める内容になると思いますので、是非ご覧ください!

次回記事は👇

また、Z世代社員の離職防止や活躍に向けた各種サービス(研修・コンサルティング)も提供しておりますので、本記事最下部の問い合わせフォームから是非お声がけくださいませ。

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この記事を書いた人

長澤 啓のアバター 長澤 啓 ワカサポ編集長/悩める20代社員育成の専門家
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